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2010年7月

左京図書館の高井主任に質問攻めした、の巻

左京図書館には和風美人の図書館員がいる。高井かづみ主任だ。
私は本日、左京図書館で1冊の絵本を手にしていた。『ルネサンス踊り絵本』(原田宿命 文、架空社)という本だ。背のシールはNDC分類のそれではなかった。 E/ルのシールが貼ってあり、OPACではE/E/ルとなっていた。
私は思った。この本を、もしタイトルも作者も知らず、検索によってたどり着くにはどうすればいいのだろう。早速館内のOPAC端末2種類で調べてみた。
ご存知のように、館内には通常2種類、タッチパネル式の使いにくいタイプの端末と、キーボード式の端末がある。タッチパネルをまず調べた。「分類」をみても、1から9までからしか選べなかった。これはご存知のように、NDC分類だ。NDC分類ではない資料は「分類」からは探せないことになる。
左京図書館の高井主任に尋ねてみた。やはり無理らしい。「キーワード」のフィールドに「絵本」と入れて調べても、京都市立図書館に所蔵の全絵本の資料を網羅的に含んでいないだろう。これはタッチパネル式だけでなくキーボード式OPACについても同様だ。高井氏は、OPACで「絵本」で調べると1000件ヒットした、と言った。しかし京都市立図書館の所蔵絵本はそれだけではないだろう。
そこで高井主任に尋ねた。京都市立図書館所蔵の絵本のカタログはありますか?高井主任の答えは、大型絵本に関してなら左京にあるということだった。しかし彼女は相変わらず、(1)所蔵しているのにOPACから検索できない資料が存在する事実、(2)所蔵しているのに所蔵絵本のカタログすらない事実に関して、それが重要な行政の怠慢だという認識がまったくなかった。申し訳なさそうにもしないし、それを恥とすら感じていないようだった。
CD・DVDのカタログに関しては、岩倉図書館ならばOPAC端末横のカウンターで見られるようになっている。それは評価できる。しかし左京はどうだろうか。絵本のカタログがないという事実は重大ではないのだろうか。
今日、もうひとつOPACで不明な点があった。まずタッチパネルのOPACで、キーワード検索に「ぐらも」と入れて検索すると、1件しかヒットしない。タイトル名は忘れたが、神社関係の資料だった。しかもそれは、書誌詳細画面には「ぐらも」に似た文字列がいっさいないのだ。
私は経験から、書誌詳細画面にない情報を拾ったのだということを知っている。高井主任に業務用OPACで確認してもらったところ、「鎌倉」の「くら」と、スペースと、「も○○」という文字列を拾ったようだった。「くら」を拾ったのは、以前この会報で紹介したリコーのLIMEDIOの「あいまい検索」に似た、富士通 Ilis の機能が発動した結果だ。
前にも述べたように、業務用 OPAC だけでなく利用者用のそれにも、書誌詳細画面で「なぜこの検索語でこの資料を拾ったのか」が明らかになるように設計するべきだ。
高井主任にはこの機を利用して次の関連質問もしてみた。「ぐらも」の例では、書誌詳細画面から「ひらがな+空白+ひらがな」の文字列を拾った。しかし「ひらがな+空白+カタカナ」ないしそのバリエーションは拾うのだろうか?
高井主任には通じなかった。わかりやすいように紙に書いて質問した。
書誌情報に「サッカレー 粉」(空白はママ)という文字列が含まれていたとする。OPACの検索語に「かれーこ」として検索すると、その書誌情報を含む資料を拾うのだろうか。
私は経験から、「漢字」と「漢字」間、「ひらがな」と「漢字」間、あるいは「ひらがな」と「ひらがな」間の連結に関しては、拾うと認識している。漢字に関しても、読みを入力するので、「ひらがな」を「漢字」に置き換えても真だ。しかし「かたかな」と「ひらがな」間の連結に関しては、少なくとも「書名検索」では、単語単位でなければ、拾わない。
抽象的でわかりにくいと思うので、具体例を出そう。『ガラスの仮面』を調べたければ、「がらすのかめん」でヒットする。しかし「がらすの仮めん」ではヒットしないのだ。同様なことが、「障害者」「障がい者」に関しても言える。「障害者」と「障がい者」は互いに排他的なのだ。Licoh のあいまい検索もこういった例を考慮していない。単語単位なのだ。
このことの確証が欲しかった。そこで高井主任に確認をお願いした。
この質問がどんな意味(意義)があるのか、まだピンとこない人が大半だろう。そこで、複合名詞を考えてみて欲しい。
「総合うつ病判断」という文字列を探したいとする。「うつ病」には、「うつびょう」「うつ病」「鬱病」など3通りの組み合わせがある。しかし、OPACのシステムをちゃんと理解していないと、どの組み合わせでは検索結果から除外されるのか、不安でしかたがないのだ。
「総合鬱病判断」という文字列を書誌情報に含む資料を所蔵しているのに、OPACのシステムでは「うつ病」を「鬱病」の資料ではヒットしない、という事実があると、重大な機会損失だ。
高井主任はこの質問の意義に関して理解していないはずだ。でも質問に別の機会に答えることについては同意してくれた。
それでもかづみさんはあいかわらず、非言語的手段で「嫌そうな」態度を取る。このことについてはさんざん「市長への手紙」で報告したので、控えめだ。しかし確実に、やる。「障害者」の例をしゃべろうとした時も、かづみさんの発話のオーバーライドにより無視された。その他にもオーバーライドされたが、具体例は忘れた。
ほかにも質問した。OPACの書誌情報の誤りを利用者が発見した。このことを職員に告げた。その職員は気軽にOPACの書誌情報の誤りを修正できるのだろうか。ひとつの修正ごとに、館長決裁が必要なのだろうか。このことを尋ねた。
左京図書館ではどうか、尋ねた。高井主任は、答えかねる、と答えた。システムの変更には中央図書館の職員しか関与できないとのことだった。しかし、私が具体例をあげてわかりやすく説明しているのにもかかわらず、そういった回答だった。私はさらにわかりやすく説明した。
Richard MacAndrew の "Blood Diamonds" の書誌情報に出版社名の情報が欠落している。岩倉図書館の職員にそのことを伝えた。1ヶ月以上経つが、修正がなされていない。その他の入力ミスについてもだ。
もしかして、ひとつの書誌情報を修正するのにも、大変面倒な書類手続きがあるのだろうか。その疑問が背景にあった。
高井主任は、質問の理由が理解できないから、回答を渋った。私は理由を説明した。1ヶ月以上も放置するのが常なんて、中くらい以上の民間企業ではありえないことだ。
高井主任は、信じられない回答をした。書誌情報の間違いを指摘されても、現物が手許にないかぎり、別の館では修正できない(しない)と言った。私は驚いた。ルールに書かれているのですか?マニュアルにはどうかかれているのですか?しかし高井さんは、マニュアルはない、といった。すべて職員の判断で決めている、とのことだ。
私は即座に、高井主任にマニュアルがあるのかないのか確かめてください、そしてもしあれば、見せてくださいとお願いした。見せないのであれば、その理由も付すよう、念を押しておいた。またマニュアルは市教委が作るのか、アスニー作成なのかも尋ねておいた。

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京都市立図書館で観察される館間コミュニケーションの貧困さについて

ILLを利用して京都市立図書館が所蔵しておらず府下の図書館の所蔵する資料を左京図書館取り寄せで頼むことがある。ときに岩倉図書館取り寄せで頼むこともある。依頼はオンラインではできず、館内の用紙に記入してカウンターに提出する。
今年のあるとき、京都府立図書館所蔵の資料を相互貸借で岩倉図書館で取り寄せしようとしたことがあった。その申し込みを左京図書館で記入し、カウンターに提出した。書類は受理された。
別の日に左京図書館へ行ってみると、和美人の高井主任がこう告げてくれた。京都府立図書館のルールなのだが、ILLの申し込み館と受け取り館は同一でなければならない。私は納得して左京取り置きに変更してもらった。
さて、別の機会に、府立図書館所蔵の別の本を、今度は岩倉図書館で申し込み、左京図書館で受け取れるように手配してもらおうとした。しかし前田主任に用紙を手渡す段になって、私は例のルールを思い出した。前田さんはそのルールのことは知らないようだった。「岩倉で申し込んで、別の館で取り寄せてもらうことはできないんでしたっけ」と尋ねると「そんなことはないと思います」という答えだった。
ちょうどいい。組織論から京都市立図書館の館間コミュニケーションの貧困さについて、昨年の9月にみっちり「市長への手紙」で意見を申し上げたところだ。実際に彼らが変わったのか、変わろうとしたのかを確かめるいい機会でもある。
すんなり岩倉の前田主任はILLの申し込みを受理した。1週間後、電話が岩倉図書館の大門さんからかかってきた。やはり、岩倉で申し込んで、左京で受け取ることはできないとのことだった。
昨年の9月に市長への手紙で力説した、館間コミュニケーションのあまりのなさについて、なんの改善もなされていないことが、これではっきりした。以下に、私が職員だったら、こういう手順がなされるべきだったとするものを示す。
高井主任が「府立図書館からの貸借本は、左京図書館で申し込んだら左京でしか受け取れない」というルールを、知った時点でまずメモしておく。この知識を市民に知らせるために考えを巡らせる。役所あるいは公務を委託した法人は、何事も変えるには決済が必要なのだろう。まずこのことは館長に報告しないといけないのかもしれない。私だったら迅速にすべての館に周知させるように計らうのだが、現時点では京都市立図書館は、館間コミュニケーションに電子メールは使えないことになっているらしい。電話やファックスや手紙を使っているらしい。メールや掲示板だと瞬時に全館に知らせることができるのに、そういった基本的な利便性を活用していないようだ。
しかし高井主任は、あいかわらずそういった行動はいっさいとらなかったようだ。
京都市立図書館の ILLの冊数は相当なものだ。なかには私の例のように複数の館を利用する者も少なくないはずだ。仮に10%程度が「A館で申し込んでB館で受け取りたい」という需要があったとしても、相当な冊数になる。
事務の手間を省くためにも、利用者の利便を図るためにも、「A館で申し込んでB館で受け取りたくてもできない図書館」の情報を、ホームページやカウンター上に置いているQ&Aなどで明記しておくべきだ。そういった発想ができない職員がいるというのは、残念で仕方がない。
普段から、利用者のために改善したい、と考えていれば、手をこまねいているということはできないはずだ。
高井主任は貴重は情報を得たにもかかわらず、自館だけの知識として持っておくことに甘んじ、京都市立図書館の他館と、その貴重な情報を共有しようとしないのだ。なんのためのコンソーシアムなのだろう。数の優位を利用できていないではないか。
利用者のほうも、ホームページを見れば、地域館はそれぞればらばらの館ではなくて、共に哲学と目標と道具と人材を共有したひとつの有機体なのだと思う。しかし現実に各館の職員は館ごとに考えもっばらばらで、ひとつの館の情報が他館と迅速に共有されない現実があるのだ。
高井主任は、まず館内で新情報<府立図書館からのILLは、A館で申し込んでB館で受け取れない>を共有するよう図るべきだった。そしてその知識をほかの館と共有するように図るべきだった。
以上見たように、館間コミュニケーションの痛いほどの欠如は、私が昨年9月に詳細に提案してからも一向に改善されていない。担当の佐々木善弘業務係長はいったい仕事をしているのだろうか。倫理だけでなく実行力も持ち合わせていないではないか。ないないづくしではないのか。こういう人間を重要なポストに置き続けてもいいのだろうか。市民にとっては残念な話だ。


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提案をうっとおしがる役所の気風をガラガラポンしたい!

座談会「流動する図書館員-流動することの利点・難点」(『ず・ぼん⑮』、ポット出版)から引用する。久住さん(仮名)は独立行政法人運営の図書館職員(特定任期付き)とのことだ。
 
[blockquote]久住(仮名)「私は、やはり異動はしたくないですね。一つのところでじっくりやっていきたい気持ちがあります。自分自身の性格ですが、いつクビを切られるのか不安でしょうがないんですよ。何か提案をすると切られるのではないか、とか。」[/blockquote]
 
解雇や雇い止めが怖いというのはよくある話だ。しかし「何か提案をすると切られるのではないか」と不安がるのは、なんとする?
 
まず、提案をするくらいで、それを口実に解雇や雇い止めにされる、と考えるのは、それだけでチキンの証だ。提案をするくらいだから、組織あるいはサービスの受益者にとって利になることを提案している。それなのに、提案するくらいで解雇や雇い止めの理由にされると考えるとはなんたることか。
 
あるいは、実際にそういったことはよくあるのだろうか。私自身の経験では、京都市立図書館や京都市役所は、市民からの提案に対し、信じられないくらい無反応だった。実際に提案を容れたのに、なんのねぎらいのことばもない、ということばかりだった。
 
変化に適応するのが日常の課題である成長分野の組織では、従業員あるいは顧客の意見が、意見というだけでうっとおしがられ、解雇の対象になるといったことは、考えられない。そんな組織文化だと、市場原理で淘汰されるのが落ちである。一方変化は緩慢で、顧客たる市民へのサービスは二の次で組織の安泰を第一とする役所では、意見を言う輩は排除と軽視の対象なのだろう。
 
この証拠はたくさん見つかる。現に『ず・ぼん』のこの巻にも見つかった。私自身もなんども、提案をうっとおしがったり、無視したりされた。京都府立図書館の職員のブログでも、複数の職員が証言している(島○さんのブログ、是○さんのツイッターとブログなど)。
 
昨年京都市立図書館の業務係長だった(現在図書課課長補佐兼業務係長)佐々木善弘も、わたしが組織論・組織コミュニケーション論を含め具体的な提案をいくつもしたのに、それに対して何のコメントも返さなかった。「わたしは行政畑の人間ですから」という口実をつけて、何もコメントしない。職員の態度の持続的なまずさに対して、改善しようとしない。ごめんなさいも言わない。
 
職員の個人的な道徳心の欠如や、するべき行動を取らない怠慢は、その職員をほかの仕事ができる職員に替えれば済む話だ。しかし沈滞したムードの多くの役所(役所の出資法人も含む)の組織文化・気風を刷新しないかぎり、「役所病」「公務員病」はいつまでたっても克服できず、次の世代にまで持ち越すだろう。


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シュバインシュタイガーのPAでのミシン縫いアシストと、それに翻弄されるアルゼンチン選手に、京都市立図書館職員のアナロジーを見た

サッカーワールドカップ・南ア大会のアルゼンチン対ドイツ戦を観戦した。
すべてのゴールがすばらしかった。エジルからのクロスをクローゼが決めたダイレクトボレーも簡単そうでしっかり決めるのもよかった。高い位置でボールをスライディングで奪い取り、速攻でポドルスキーが左ペナルティーエリアからグラウンダーのクロスを入れて点取ったシーンもすばらしかった。
 
しかしなんといってもシュヴァインシュタイガーのゴールだろう。ミシンのようにアルゼンチンディフェンダーが密集したペナルティーエリアを縫うように進入してフリードリヒの足に合わせた。すばらしいゴールを観た。
豚ライダーさんは本当に凄い。
 
しかもゴールの瞬間、アルゼンチン陣内のペナルティーエリアにはアルゼンチン選手が8人もいる。それをずたずたに切り裂いていった。
 
シュヴァインシュタイガーはゴールにつながるラストパスの直前にフェイントを入れていた。やはりフリードリヒに対してのパスのフェイクだったのだが、その時点ではフリードリヒは敵に近かった。だからアルゼンチンの9番イグアインの左でパスのフェイクをするが、直感的に駄目とみると、するすると更に深くドリブルを流して、最後に9番の右から、ラストパス。その時点ではフリードリヒはフリーになっていた。
 
フリードリヒは足で合わせるだけでよかった。アルゼンチンのディフェンダーはスライディングをしたが、間に合わなかった。
 
<object width="640" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/Pfj-kdpEdMo&amp;hl=en_US&amp;fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/Pfj-kdpEdMo&amp;hl=en_US&amp;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="640" height="385"></embed></object>
 
この日のアルゼンチン代表のディフェンスは、京都市立図書館の職員を彷彿とさせるものだ。職員がいじめに似たことをしているのに、他の職員にそのことを告げると「そんなことはありません」と調べもせずに言う。そのことを市長への手紙で報告しても、当時業務係長の佐々木善弘は返事も出さずごめんなさいも言わない。市教委の酒部さんによると、何も起こらなかったことになっている。
 
ひどいのは、京都市立図書館のどの館に電話して、詳細を伝えて訴えても、皆「当館は関係ない」「市立中央図書館に直接電話してください」「上司に伝えておきます」といった反応ばかりだ。何度「市教委の人間は思いやりや道徳心がないのか、一向に真剣に対処してもらえない」と言っても、そのような無関心な対応ばかりだ。
 
役所の一番の欠点は、上司に倫理性の欠く人がいれば、その人の考えがすべてに適用されることだ。公務員の義務は上司に正確に事を報告することだ。そこには倫理の力が働かないのだろうか。
 
肝心の上司の行いがひどいと多くの館に伝えている。そのことを市民から知った末端の職員は、倫理的に照らし合わせて、どう行動すべきだろうか?
 
答えは明白である。その上司を飛び越えて、上司の上司に報告するのである。それが日本人の倫理である。「ホットライン」という言葉を聞いたことがないはずはない。
 
私が伝えた職員のいずれも、そのことをしなかったに違いない。信じられない組織だ。しかしこれがアイソモルフィズムのなせる業なのだろう。つまり、日本全国どこの役所も似たような対応をされるのかもしれないのだ。
 
おそらく役所は日本で一番日本人の美徳から遠い組織だ。いじめの問題は、役所の問題と密接に絡んでいると実感した。次の状況を一緒に考えてみてほしい。
 
A組の生徒がB組の先生にこう訴えた。「I先生、A組のT先生から嫌がらせを受けているんです。」
するとI先生はこう言った。「T先生はぜったいにそんなことをする人ではありません。」
 
このような対応をI先生がしたとする。この生徒は自殺するかもしれない。
 
確かに I先生にとってはT先生は仲間で嫌がらせをする人間には見えないかもしれない。しかし人は接する人間によって天使にも悪魔にもなれるものだ。I先生はT先生に友情を感じている。お酒も食事も一緒にする。しかしそのことを、T先生を無条件で弁護する根拠にしてはいけないのだ。
 
I先生が取るべき正しい行動は、その生徒に事の詳細を聞き出し、公平に対処することである。そこで門前払いするようでは、教師失格だ。
 
私は、今は左京図書館にはいない今岡さんに、主任の高井さんから無視されていることを静かに訴えた。しかし今岡さんは「(高井主任は)そんなことは絶対にしない」といって何も行動をそれ以上起こそうとしなかった。
 
そのことを市長への手紙で訴えた。しかし運営の佐々木善弘らは、なんの行動も取ろうとしなかった。
 
このことは機会を改めて詳述するつもりである。
 
せっかくの昨日のドイツのフスバルフェストに水を差してすまない。しかしこのことは、ドイツのすばらしいゲームと強引に結び付けても、言っておかなければならないことなのである。


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